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東京高等裁判所 昭和60年(ネ)1423号 判決

控訴人(亡甲野太郎訴訟承継人) 兼附帯被控訴人(以下単に「控訴人」という) 甲野春子

右訴訟代理人弁護士 田中正司

控訴人(亡甲野太郎訴訟承継人) 兼附帯被控訴人(以下単に「控訴人」という) 乙山一郎

〈ほか一名〉

右両名訴訟代理人弁護士 大塚功男

同 堀口真一

被控訴人兼附帯控訴人(以下単に「被控訴人」という) 丁原竹夫

右訴訟代理人弁護士 山根茂

同 天野耕一

主文

原判決を取消す。

被控訴人の請求を棄却する。

本件附帯控訴を棄却する。

控訴につき訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とし、附帯控訴につき控訴費用は被控訴人の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

1  控訴人

主文第一ないし第三項同旨及び控訴につき訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

2  被控訴人

本件控訴を棄却する。

附帯控訴に基づき、被控訴人に対し、控訴人甲野春子は金六一一万四二七八円及びこれに対する昭和五七年三月一〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、控訴人乙山一郎、同丙川松夫は各金三〇五万七一三九円及びこれに対する昭和五八年六月三日から支払ずみまで年五分の割合による各金員を支払え。

附帯控訴にかかる訴訟費用は控訴人らの負担とする。

第二当事者の主張

当事者双方の主張は、原判決三枚目表八行目の「贈」を「増」と改め、当審における主張として、次のとおり附加するほかは原判決事実摘示と同一であるからこれを引用する。

一  被控訴人

1  (附帯控訴に基づく当審での新請求につき)

(一) 梅子は、本件不動産のほか、昭和五七年三月九日現在で別紙預金目録記載の合計九七八二万八四六三円の預金債権を有していた。

(二) 太郎は、この預金についても全部を遺贈により取得したとして、別紙預金目録一の2の普通預金のうち、金二〇〇万円について、昭和五七年三月一〇日戊田梅子名を使用して解約し、金二〇〇万円の現金を取得し、右普通預金の残金及び同目録一の1記載の定期預金二口の計金八三〇〇万円について、同年七月二六日預金者を自己名義に変更してこれを取得し、同目録二記載の定期預金四〇〇万円について、昭和五七年四月一日戊田梅子名を使用して解約して右金員を現金で取得し、同目録三の普通預金七四六万八五八七円について、昭和五七年三月一〇日戊田梅子名を使用して解約し、右金員を現金で取得した。

(三) 被控訴人は、梅子の相続人として八分の一の相続分を有するから、太郎は、被控訴人に対し、被控訴人が相続により取得した右預金債権の八分の一である金一二二二万八五五七円を返還すべき義務を有していたところ、同人は昭和五八年六月二日死亡し、同人の遺産を控訴人甲野春子が二分の一、控訴人乙山一郎、同丙川松夫が各四分の一の割合で相続し、太郎が被控訴人に対して負担している前記預金債権の返還義務を承継した。

(四) よって、被控訴人は、控訴人甲野春子に対し金六一一万四二七八円及びこれに対する昭和五七年三月一〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、控訴人乙山一郎、同丙川松夫に対し各金三〇五万七一三九円及びこれに対する昭和五八年六月三日から支払ずみまで年五分の割合による各金員の支払いを求める。

2  控訴人らの死因贈与契約の主張事実は否認する。

二  控訴人ら

1  (新請求に対する認否)

被控訴人の主張(一)、(二)の各事実は不知、同(三)の事実中、被控訴人が梅子の相続人として八分の一の相続分を有すること、太郎が昭和五八年六月二日に死亡したことは認め、その余は争う。

2  仮に本件遺言書による遺言が認められないとしても、梅子は、昭和三〇年一二月一三日頃太郎との間で、梅子が死亡した場合には、梅子の財産全部を太郎に贈与する旨の死因贈与契約を締結したところ、梅子は昭和五七年三月九日死亡し、同日太郎は右契約に基づき梅子の遺産全部を取得した。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因1ないし3の事実は当事者間に争いがない。《証拠省略》によれば、被控訴人の当審の主張1の(一)、(二)の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

二  そこで、抗弁について判断する。

1  控訴人らの主張のとおりの記載のある本件遺言書(乙第一号証の二)が存在することは当事者間に争いがない。

2  《証拠省略》によれば、梅子は戊田秋夫と婚姻し、長男一夫を儲けたが、一夫は第二次世界大戦に出征し、終戦後抑留されていたソヴィエト社会主義共和国連邦で死亡し、夫秋夫も昭和二七年死亡したこと、梅子には一夫のほかには直系卑属はなく、三人の兄、三人の姉と一人の弟がいたが、弟の太郎と特に親しかったこと、太郎は秋夫の死亡後同人が経営していた会社を梅子に協力して引継いで経営するようになり、昭和四七年三月頃からは、東京都品川区上大崎で一緒に住むようになったこと(太郎は当時妻花子と別居しており、控訴人甲野春子は当時梅子の女中であった。)、田中正司は昭和二二年頃弁護士として太郎と知り合い、その関係から姉の梅子とも知り合うようになり、同二七年に秋夫死亡後は税金や貸家、貸金などにからむ法律問題の相談に乗り、いわば家庭弁護士の立場にあったところ、昭和三〇年頃梅子から自分の財産を全部太郎に譲りたいが、遺言書をどう書いたらいいのかという相談を受けたため、その頃同女に遺言書の案文を書いて渡したが、本件遺言書の内容は、右案文と同一内容であること、太郎は、昭和五七年五月一〇日東京家庭裁判所に本件遺言書の検認の申立てをし、その検認手続の行われた同年六月一八日の期日において、梅子から生前、遺言書を作成してそれを梅子と同居していた控訴人甲野春子に預けてあると聞かされていたので、遺言書の存在は知っていた旨述べたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

3  そこで次に本件遺言書の真否について検討する。

《証拠省略》によれば、文書鑑定を業とし、多くの訴訟上の鑑定の経験も有する高村巌は、本件遺言書の筆跡と、控訴人らが梅子の自筆文書として提出し、弁論の全趣旨によって梅子の自筆の文書と認められる乙第二号証の一の一(手紙)の筆跡とは、前者が全体としては行書体で(「年」の字その他に楷書体又は楷書体に近い字もある。)比較的丁寧に書かれ、運筆速度も遅く記載されているのに対し、後者が無雑作に書かれ、運筆速度も速く、字形も可成りくずれているので、比較資料としては適当ではないと断りながらも、両者の間には共通符合する筆者の筆癖特徴が認められるとし、結論として本件遺言書の作成年月日の記載中の「年」の字を含めて同一人の筆跡であると判断していることが認められる。その根拠として、例えば、本件遺言書の「の」の字は起筆から転換部を上方に丸く転換するとき、起筆から転換部までの下方に向かう書線が、上方に転換する曲線と近接し、殆ど空間がないまでに密着して書く運筆癖を有しているが、右特徴は乙第二号証の二においても認められるとし、また、本件遺言書の「全」、「金」、「今」の字の「ひと」冠についてみると第一画と第二画の放射型に書かれた二線の開きの角度が可成り広く即ち一一〇度から一三〇度を示しており、これは普通約七〇度ないし約九五度以内が多いという統計的数値からみれば極めて少ない書法で、この特徴は乙二号証の二の「今」「全」「會」等の字に共通のものがみられるとし、その他、本件遺言書と乙第二号証の二の筆跡には、「す」の字において、第一筆の右端から縦線を起筆して下方へおろし、丸く転換して再び下方に運ぶ運筆癖が特徴として認められ、「京」の字でも、第一画から第六画までを連続して運筆し、全体に左に傾斜して書き、第七画は横線状に運筆し、第八画は縦線状に書く共通の特徴を見出しうるとし、また本件遺言書の「事」の字において横線を一画多く書いているが、乙第二号証の二の「事」にも右筆癖の痕跡らしきものが認められること、本件遺言書の「年」の字も特に異筆と認めるべき筆跡上の特徴は見当らないこと等を挙げる。

また、《証拠省略》によれば、同じく文書鑑定を業とする金澤良光は、本件遺言書自体の筆跡につき、「遺」「言」「日」「月」「末」「弘」「十」「東」「都」「区」「番」「地」等において、その字画形態、字画構成が類似しているので、全体として同一人のものと認められるとし(前記「年」の字も他に同一文字がないため、同一人の筆跡でないとは断定できないとする。)、本件遺言書の筆跡と本件遺言書が封入されていたという乙第一号証の三(封筒)の筆跡については、やや相異性も認められるが類似性もあり、両者の書体の相違等もあって同筆か異筆か決定できないとし、さらに、本件遺言書の筆跡と当事者間に梅子の自筆文書であることに争いがない甲第三号証の一、二、同第四ないし六号証それに前掲乙第二号証の一の一及び同第二号証の二の筆跡とは、類似している字(例えば、本件遺言書中の「今」の字と甲第三号証の二、乙第二号証の一の一の「今」の字は、第三画は横位置型で第五画は縦位置型に運筆されている点で、本件遺言書中の「子」の字と甲第三号証の二、第四ないし第六号証中の「子」の字は、第一画横線部が下方に湾曲し、第三画は長く書かれている点でそれぞれ類似している。)と相違している字(例えば、本件遺言書中の「芝」の字の第六画は曲線状で下方に湾曲しており、甲第三号証の二、乙第二号証の一の一の「芝」の字の第六画はほぼ直線状に書かれている。また本件遺言書中の「町」の字の第七画はやや左方に湾曲し、乙第二号証の一の一、甲第三号証の二の中の「町」の第七画はやや右方に湾曲して書かれている。)とがあり、本件遺言書は堅く殆ど楷書体もしくは行書体で書かれているが、その他の文書は草書体で多く書かれているためもあって明確な結論は得られないとしながらも、全体としては、よく類似していると判断していることが認められる。

そして、当裁判所も、本件遺言書と他の比較資料(乙第一号証の三を除く前掲各号証のほか当審における証人田中正司の証言によって成立の真正を認める乙第一二号証を含む。)とを子細に彼此検討した結果、例えば本件遺言書中の「富」「千」「代」「子」「京」「都」「白」「金」「今」「里」「町」「九」「事」等の各筆跡は、乙第二号証の一の一、第二号証の二、第一二号証及び甲第三号証の二中のそれぞれと、「を」「ま」「す」等の各筆跡は、乙第二号証の二中のそれぞれと、いずれも極めて相似していると認めるのであって、前掲乙第二二号証及びこれを補強する高村証言並びに前掲乙第八号証に説示するところは、各筆跡の生れた時と状況とによる書体や筆法の差違をこえてなお拭い去れない筆者の個性的な書体や筆法に注目し、彼此の類似性、相同性、稀少性等を探究するものとして、その帰結と共におおむね首肯するに足りると考える。なお、右乙第八号証、第二二号証は、いずれもいわゆる私鑑定に属するが、その証拠採用につき被控訴人からの異議もなく、とくに乙第二二号証については、その作成者である高村巌を鑑定証人として尋問したのであるから、これらを一の証拠資料とすることに妨げはないことを付言する。

他方、原審における鑑定人大西芳雄の鑑定の結果によれば、同鑑定人は、前記「年」の字及び本件遺言書中の「改名」とある部分の下の句読点らしい点の部分は、本件遺言書のその余の字とは異なる筆記具及びインクを用いて書かれ、前記「年」の字と本件遺言書のその余の字とは異筆であるとし、また主として筆法の観点から、本件遺言書の各文字と乙第一号証の三(封筒)の文字も異筆であるとしたうえ、主として誤字及び筆法の観点から、本件遺言書の筆跡と前記甲第三号証の一、二、同第四ないし六号証及び前記乙第二号証の一の一及び同第二号証の二の筆跡とは、別人の筆によるものであると結論していることが認められる。その根拠として例えば、誤字についていえば、本件遺言書では「都」の「file_5.jpg」を「file_6.jpg」と誤記しているのに対し、甲第三号証の二では正しく「file_7.jpg」と表記しており、また筆法については、本件遺言書では、「私」の「file_8.jpg」扁の第四画が直線で下から右上方へ跳ねて収めてあるのに対し、乙第二号証の二では、右上から左下に向けて曲線でおろしたのちに転折して右上方に跳ねあげているし、「代」についても、その「file_9.jpg」扁が本件遺言書では第二画の縦直線が外側に向く曲線で収めているのに対し、乙第二号証の二では、それが内側に向く筆法を用いているし、仮名では、「を」の字が本件遺言書においては、文字の中心線が垂直に収まっているのに対し、甲第四ないし六号証及び乙第二号証の二の各文書中の「を」の字は中心線がすべて右下に傾斜して収まっていること等を指摘している。

しかしながら、右のうち、同鑑定人が本件遺言書中の「年」の字について、他とは異筆であると判断したところは、インクの違いの有無について科学的根拠を提示しているわけではなく、またかりにインクの違いがあったからといってそれが当然に異筆の根拠になるわけでもないから、ただちに採用しえない。また、本件遺言書と乙第一号の三(封筒)の文字も異筆であるとする点はきめ手に乏しく、かりに異筆であるとしても、遺言の有効無効は遺言書によって決するのであってその封筒の文字の真否にかかわらないから、この点は慮外におくのが相当である。次に、本件遺言書の筆跡について爾余の前掲資料の各筆跡とは別人のものであるとする点は、たとえば「都」を「file_10.jpg[」としたのを直ちに誤記といえるかは疑問であり、「私」の「file_11.jpg」の筆法も、本件遺言書中のそれと乙第二号証の二中のそれとはいわば紙一重の差ともいうべく、「代」については余りに些細な相違を指摘するにすぎないと評しうべく、「を」についても同様のそしりを免れない。同鑑定人は、当審におけるその鑑定証言において、「富田」の「田」の「十」の筆順を問題にし、本件遺言書中のものは横、縦、横であるが、乙第二号証の一の一中のものは縦、横、横であるとしてその相違を指摘するが、両者の書体の明らかな差違を無視するものというべく、この点は「ひと」冠について高村鑑定の所見を駁する箇所に対してもほぼ妥当するとみてよく、また、本件遺言書中の「の」、「す」、「京」について、高村鑑定がそれぞれひとつの形態のもののみを採りあげて論ずることを非難するが、筆法の特徴をえぐり出す仕方とその実証の点において難はないとみうるし、「事」や「子」についてもその説くところは些末にわたって納得し難く、総じていえば、本件遺言書の筆跡と爾余の比較資料の筆跡との相異点を指摘するに急な余り、その類似性、相同性に対する検討が稀薄であるとのそしりを免れず、結局その鑑定結果及びこれにそう証言は採用しえない。なお、同人の右証言中、本件遺言書は男手に成るものとの部分については、同人の経験知以外に根拠はないというべく、かりに男手とするならば本件においては甲野太郎以外にその筆者を推測しえないが、同人が自らの名を「五郎」(本件遺言書にみられる。)と誤記することは考えられないばかりか、当審における証人田中正司の証言によって甲野太郎の自筆と認められる乙第一四号証の二及び第一五号証の筆跡を本件遺言書のそれと比照してみても、到底同一人のものとの心証を惹かない。

また、当審における鑑定人菊池幸江の鑑定の結果によれば、同鑑定人は、本件遺言書の右各文字と乙第一号証の三(封筒)の文字が同筆であるか異筆であるかは不明であり、本件遺言書の筆跡と前記甲第三号証の一、二、同第四ないし六号証及び前記乙第二号証の一の一及び同第二号証の二の筆跡は、各文書の筆跡の外見的特徴からすれば顕著に高い類似性またはほぼ同程度の類似性を認めながら、字画構成、字画形態の観点から、例えば、本件遺言書の「富」の字についていえば、その第三画終筆部の広い角度構成、第二画と第三画一節の傾斜角度において、他の前掲比較資料の筆跡と類似特徴がみられるが、第二画と第三画の間の関係や「田」部の幅の関係で異質特徴があり、このことは、「田」「代」「子」において、また「東」「都」「区」「白」「里」「町」においても同様であり(例えば、「代」の字についていえば、遺言書では第四画終筆部は右上方に折れ曲がっているのに、他の資料では右上方に跳ねるのや下方向に向うだけのものがみられる。)、さらに他に異質特徴のみられる「港」「芝」「金」「今」「島」の各字などがあって、結論として、本件遺言書の筆跡と前記甲第三号証の一、二、同第四ないし六号証及び前記乙第二号証の一の一及び同第二号証の二の筆跡とは総体的に相違性が高く別人の筆によるものであるとしていることが認められる。

しかしながら、右鑑定人菊池幸江の右鑑定の結果は、そこへ至る推論過程において、第一に検討の対象とした文字の選び方に偏りがあり(例えば、「京」「事」「の」「す」の如きを採りあげていない。)、第二に採りあげた文字につき余りに些細な特徴に着目して比較する傾きがあり(例えば、「富」の字の第二画と第三画の間隔や「代」の字の第四画の終筆部分について先に掲記したように。)、第三にその文字の異同の量的比較に捉われているきらいが看取され、たやすく採用し難い。

4  上来、認定した事実及び説示したところに鑑みれば、本件遺言書は、梅子の自筆であると認めるのが相当であり、また、その名下の印影は梅子自らがその印章を押捺したものであることが弁論の全趣旨によって認めることができる。なお、《証拠省略》によれば、本件遺言書が封入されていたという乙第一号証の三は、右遺言書の検認手続の行われた時点で既に太郎により開封されていた事実が認められるが、右2、3認定の事実に照らして、未だ本件遺言書が梅子の自筆であるとの認定を覆すに足りない。

そうすると、控訴人らの本件遺言書による遺贈の抗弁事実が認められるから、被控訴人の請求及び附帯控訴はその余の点を判断するまでもなく理由がない。

三  よって、右と結論を異にする原判決を取消し、被控訴人の請求及び附帯控訴を棄却し、訴訟費用の負担について民訴法九六条、九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 髙野耕一 裁判官 川波利明 米里秀也)

〈以下省略〉

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